東北大学と女子相撲
1997年1月、大阪市中央区・ツイン21ギャラリーで「第1回全日本新相撲選手権大会」が開催された。
この大会に、実は東北大学の学部生が1名、軽量級にエントリー。
残念ながら初戦で敗退したが、翌年の大会にも参加して、都合2回、全日本選手権の大会に参加している。
名前はここでは伏せておくが、当時農学部4年生だった彼女は、東北大学学友会相撲部の前身である「相撲愛好会」に在籍。当時の相撲愛好会は相撲部と相撲研究会を並置する割と大人数のサークルであった。そして、1995年に彼女が3年生の時に女子相撲のアマチュア組織である「新相撲連盟」発足のニュースが相撲部に入り、当時相撲部の主務を務めていた同学年の学生に誘われて相撲を取ることになる。ただし、その説得には数か月単位の結構な時間がかかっていることは付記しておく。
とにもかくにも説得に応じた彼女は、学生相撲のシーズン終了の11月以降、有志の相撲部の学生と稽古に励むことになる。といっても、当時の東北大学相撲部に室内土俵はない。これを読んでいる方は嫌な予感がよぎったかと思うが、稽古そのものは大学近辺の公園(で、雪が積もっていないところ)とか、記念講堂脇の芝生(で、雪が積もっていないところ)とか、はたまた、今度の宮城野原公園総合運動場内の県営宮城相撲場(の雪の積もっていないところ)とかで、寒風に吹きさらされながら稽古に励んだのである。終わった後はいいのだが、そこに至るまでに足の膝から下の感覚は失われていることが普通だった(終わりごろにやっと温まって人心地つくような状況)。
結果は、第1回、第2回とも、偶然に同じ選手(京都府で教員をされている方)と対戦し敗北。筆者は第2回の方を見に行っているが、結構長い取り組みだったことを記憶している。最後は追い詰められての寄り切り。彼女の競技人生はこの2回で終了する。
国公立大学の学生でこの第1回大会に出場していたのは、彼女ともう一人、京都大学医療短大(現・京都大学医学部保健学科)の学生がいたという。第1回の時は、相撲部で彼女と稽古をしていた学生が全て4年生で卒業論文などに追われていたこともあり誰一人応援に行かないというひどい扱いをしてしまっており、ただそのこともあって、この京都大医短大の学生の方とは軽く稽古をするなどしたらしい。この場を借りて謝罪と御礼を。
あと、この新相撲の選手をさらに募集しようと当時の新歓担当はビラにポスターに結構時間を割いたが全て徒労に終わっている。原因はポスターのデザインにあるとも言われたが定かではない。確か、女子選手に能面(若女)をかぶせた、意図のよく分からないポスターが…。